高岡銅器は今から400年ほど前、当時、越中・加賀一体を治めていた前田利長公が高岡築城に際し、城下の繁栄をはかる産業として、現在の高岡市金屋町に鋳物工場を開設した事に始まっています。
鉄鋳物による鍋・釜等の日用品・鋤
鍬等の農機具製作にはじまり、江戸中期には唐金鋳物(銅合金)の需要が増加し、特に仏具は一般家庭にも広く求められるようになりました。 その後、明治から大正にかけて火鉢・瓶掛・茶道具・置物等の製作がさかんになり、高岡銅器の美術的価値が全国に知られるようになりました。
竹中銅器(竹中製作所)が、高岡銅器製造販売の産声をあげたのは、ちょうど、この頃(昭和2年)となります。 戦後は、大型ブロンズ像、銅像、胸像の受注が飛躍的に拡大し、これまで、銅像・胸像を合わせて、2,000体以上の納入実績を重ねています。
竹中銅器(竹中製作所)は、銅製品で、全国シェア90%を超える地元企業の一翼として、さまざまなニーズに応えながら、魅力的な製品を提供し続けています。
人類と金属との出会いは、はるか5,000年前まで遡ります。人が作った初めての金属が青銅器といわれており、それは信仰の道具、あるいは地位の象徴として、非常に貴重なものでした。
人は時代とともに、幾たびもの試行錯誤と繰り返し、技を蓄積しながら、それを伝統という名のもとに継承してきました。
高岡銅器の名品と呼ばれるものは、世代が変わっても、作り手の気迫と感性が、高度な技によって、見事に作品の中に息づいていることがおわかりになると思います。
高岡銅器の技を脈々と受け継いできた竹中銅器(竹中製作所)は、伝統的な技術を誇りとして、これからも感動を呼ぶ作品を造り続けています。
高岡銅器の伝統的な技術は、茶道具や華道具、あるいは仏具という限られた需要のために使われるわけではありません。竹中銅器(竹中製作所)では、現代の生活様式や住空間に調和する商品開発にも取り組んでいます。
伝統技術の懐の深さとを活かしながら、伝統工芸とは発想を異にするモノづくりは、我々に課せられたテーマです。
全国から集まる若いクリエーターの感性と、伝統工芸の確かな技術。 竹中銅器(竹中製作所)は、80年の長きにわたって培ってきた技と信頼をお客様が求める製品に惜しみなくそそぎ、ご満足のいくものをお届けします。
新しい感性とそれを形にする巧み。それらが融合して誕生する、新しい高岡銅器の可能性を竹中銅器(竹中製作所)はこれからも探り続けます。